ゆあぺディア~私とセンバツその⑦~

1993(平成5)年、春。私は野球ばかり見ていたおかげで(?)、見事に大学受験に失敗しました。予備校に1年間通うことが決まり、さすがにこの時ばかりは「甲子園観戦禁止令」が我が家で出されました。ちなみに、前年の夏も行けず、もちろんこの年の夏も。つまり、3季連続で高校野球観戦から遠ざかることになりました。
第65回大会は、ハイライト番組も含めて、自宅でもおおっぴらに見ることはできず。精神的に、ホント、キツかったです。
ただ、決勝戦だけはどうしても居ても立ってもいられず・・・、こっそりバレないようにテレビ観戦。
すると、驚きの事実が!

大阪・上宮と埼玉・大宮東の対戦、上宮はセンバツコラム~その①~でも記した4年前の雪辱を期す戦いでもありました。
初回、上宮がノーアウト一塁のチャンスで2番バッターが送りバント。相手のミスもあって犠打エラーで出塁。
うん?この2番バッター、どこかで見覚えがあるような・・・。
名前・・・岡田成司?えっ?あの岡田くん?ショート?まさか!そんなわけ・・・ないか・・・。
もう一回、顔がアップで写らないかな・・・。守備で・・・、あ、写った!
えっ?やっぱり、岡田くんやん!もう、確信しました。
何と、上宮の「2番ショート岡田」選手は、私が少年野球時代に一緒のチームでプレーした1学年後輩の「岡田くん」だったのです!


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衝撃の事実でした。
メッチャすごいやん、岡田くん!上宮でレギュラーでショートで、しかもセンバツの決勝って!
まあ、決勝まで気付かないほど、私はこの大会、じっくり見られなかったという裏返しでもありますが。

1学年後輩の岡田くんは、少年野球の頃から、それはそれは、センスあふれる選手でした。守備がとにかく上手く、後輩ながら私の学年のチームでも当然のようにショートを守っていました。ボールを取ってから、とにかく速かった!私は、主にファーストを守っていたので、よく分かるんです。流れるようなというか、動きが本当にスムーズで、送球も抜群の安定感でした。身長が伸びて顔はそのまま(笑)みたいな雰囲気で、決勝でも難しいゴロを簡単にさばくわけです、少年時代と変わらず。
9回も岡田くんがゴロを2つきっちりアウトにして、悲願の初優勝まであと1つ。牧野投手がその後、ピンチを招きますが、最後のバッターはセカンドライナー。岡田くんをはじめ、全員がマウンドに集まり喜びを分かち合います。

この日まで、私は大好きな高校野球をほとんど見られず、モヤモヤした気持ちでいっぱいでした。
しかし、懸命にプレーする岡田くんを見て、「よっしゃ、俺も頑張らないと」と新たな気持ちになりました。
岡田くんのおかげで1年間、受験勉強を頑張ろうという決意も生まれました。

1年後、私は大学に合格しました。今でも、岡田くんの存在に気付いた65回大会が、厳しい予備校生活の原点だったと思っています。

それから約20年後。何と、その「岡田くん」とひょんなことから再会しました。
場所は甲子園球場。岡田くんは仕事の関係で偶然、訪れていたそうです。お互いに目が合った瞬間、5秒ほど???という空気が流れ、「岡田?」「湯浅くん?」「えーホンマに!!!」と懐かしいやらビックリやらで、思わず大声を出してしまいました。

何せ私の記憶では、中学時代に近くの本屋で話をしたのが最後。あとはテレビ中継で見て以来。
岡田くんは岡田くんで、私をテレビで見て「“少年野球の時の湯浅くん”と似ているけど、まさかなあ」とずっと思っていたそうです。思い出話や近況報告など話は尽きませんでした。

あの65回大会、決して上宮は61回大会のような前評判の高さはありませんでした。のちにプロ野球に進む選手もいませんでした。一方、大会自体を振り返ると、京都・東山には岡島秀樹(のち巨人に入団)投手、愛媛・宇和島東には平井正史(のちオリックスに入団)投手、大宮東には平尾博嗣(のち阪神に入団)選手など錚々(そうそう)たる顔触れが揃っていました。岡田くん自身も、まさか頂点に立てるとは思っていなかったそうです。
「だって、初戦がいきなり優勝候補の神奈川・横浜高(元中日・阪神の高橋光信選手を含め、のちに5人がプロ入り)ですよ。ウチは前年の秋、大阪では優勝しましたが、近畿大会ではベスト8止まり。しかも東山にコールド負けしての、です。俺らは弱いんやと思っていましたから」。

しかし、その初戦、上宮は横浜に延長の末、サヨナラ勝ち(サヨナラ安打は黒川洋行主将。息子・史陽さんは昨年秋にドラフト2位で楽天に入団)し、一気に勢いに乗ります。

「初戦が大きかったですね、今振り返ってもやっぱり。それに、優勝候補が続々と初戦で姿を消していくわけですよ。宇和島東や、近畿で僕らにコールドで勝った東山もですよ。全国はホンマにすごいなとみんなで話していたんです。僕らの3回戦(2戦目)が鹿児島実業、全国の常連校ですよね。この強豪に自分たちがどれくらい戦えるか、もし互角に戦えたらひょっとするぞ、と」。

3回戦、上宮は11-1で鹿児島実に大勝します。ベスト8のうち、近畿勢は滋賀・八幡商と上宮のみ。

「鹿実に勝った時に、僕自身、ひょっとしたら優勝できるかもと初めて思いましたね。強いと思っていた他のチームもどんどん負けていくし、チャンスやと」。
その後、準々決勝は福岡・東筑紫学園に3-0で、準決勝は北海道・駒大岩見沢に11-4で勝利。
部員38人はまさに一丸となって、4年ぶりの決勝へー。
「4年前の雪辱?もちろん、ミーティングでもそういう話はありましたが、あんまり意識せず、とにかく勝つことだけに集中していました」。

冒頭にも記した通り、「岡田くん」は初回にバントを決め、エラーを誘い、その後先制のホームを踏んでいます。この試合、ヒットこそなかったものの、攻守にわたって初優勝に大きく貢献しました。


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そういえば、昨年、ドラフト会議前に村西良太(オリックス入団)投手の取材で近畿大学に伺いました。チームを率いるのは、田中秀昌監督。1993年当時の上宮の監督です。
私が「岡田くん」の1学年先輩であることを告げると「おー、そうかそうか。岡田、もちろん覚えているよ。とにかく、あいつはね、バントが上手かった。守備も上手くてね、いい選手でしたよ」と村西投手の取材そっちのけで(笑)盛り上がってしまいました(笑)

「湯浅くんは決勝だけ見たん?それはアカン。僕、決勝だけノーヒットなんですよ。それ以外は打っていたのに(笑)バントは自信がありました。だって、メチャクチャ練習しましたもん。でも、時には打たせてほしいこともありましたけどね(笑)」

調べてみると、5試合で19打数7安打、打率は368.!確かに、素晴らしい成績です!

「このチームから僕の野球が始まったんです」
センバツコラム~その①~にある写真のチームが、私の野球の原点。
思いは岡田くんも同じでした。
縁あって、再会できて、本当に嬉しかったです。普段は、中々会うことはできませんが、
またゆっくり食事でもしてみたいですね。

初Vから27年・・・。
いまだに、優勝直後のマウンドで満面の笑みを見せる「岡田くん」の姿が目に焼き付いています。

ちなみに。
少年野球の時の私の印象を聞くと・・・、
「湯浅くんは、ファーストだったよね。“メッチャ元気な人”というイメージです。それと、エラーもよくしたじゃないですか(笑)だから、僕が上の学年のチームでプレーしていても、エラーを怖がらなくていいというか(笑)湯浅くんにはいつも勇気づけられました、エラーしても大丈夫やって(笑)だから、湯浅くんのこと、覚えているんですよ!」

高校で野球をせず、正解でした・・・(苦笑)

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