2015年の縁

初めて“少年”に出会ったのは2009年の夏。
少年は背番号2ケタの高校1年生、甲子園を夢見る高校球児だった。

「いい1年生がいますよ。“華のある”投手ですわ」
現在は東洋大牛久監督の堀口監督(当時、東洋大姫路高校監督)は私にそう言った。

実際、話を聞いてみて、その片鱗は見えた。
ひょっとしたら・・・。

それから夏のたびに、取材をした。

2011年、“少年”は高校3年生になった。
雑誌には“プロ注目の右腕”と書かれるまでになった。

「マウンドでの立ち姿が綺麗なんですよね、彼は」
現在も東洋大姫路高校で指揮を執る藤田監督は
会うなり、私にそう言った。

高校野球の指導者は、大器の予感を持っていた。

“少年”は、その年、史上初となる夏の兵庫大会決勝再試合を制して
ついに甲子園の土を踏んだ。

「あの時、もし県の決勝で負けていたら、今の僕はないと思います、
人生のターニングポイントでした。勝って、甲子園に出て、もっと高いレベルで野球をしたいと思いました。だから、大学でも4年間頑張れたんです」

“少年”は“大人”になった。
大学時代、肘の手術も経験した。何度も挫折を味わった。それでも、夢を決して諦めなかった。
「昨年の今頃は、大スランプで毎日不安でした。でも一分一秒を無駄にせず、全力で毎日を過ごしました」

2015年秋、夢は・・・叶った。
“少年”から“大人”へ―。
東洋大姫路高校、東洋大学出身、東京ヤクルトスワローズ ドラフト1位 原樹理。
先日、4年ぶりに彼と再会した。
「高校時代は、70キロくらい。今は80キロ近くになりました」
大きくなっていたのは、体だけではない。
喋り方も喋る内容もすべて、“進化”していた。

15歳の最初の出会いから6年。
素敵な“縁”に感謝したい。

PS.高校3年の夏、甲子園ベスト8に終わった東洋大姫路。
藤田監督は、監督人生で「記憶にない」ことをしていた。
負けた後、そっとボールを原に渡していたのである。

そこに書かれていた言葉―それは・・・
「日本一のピッチャーになれ」

原は、そのボールを間もなく入る寮で飾るという。

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