こはまの履歴書11、道を拓いてくれた憧れのアナウンサー

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

売れているタレントさんが、

何歳でどんな番組を担当したいか、

どんなポジションでいたいか、

そこから逆算して、これから何をして行くか、という“夢の未来予想図”を書いているというのをある本で知り、24歳の頃、自分でも書いてみることにしました。

そこで30歳までに野球実況をするという目標を立てました。

青森テレビは大好きな職場でしたが、残念ながら野球実況の機会はありません。

いつか野球実況ができるテレビ局に移籍したいと考え、

実況練習と他社の入社試験対策を始めました。

ここでも役立ったのが「勝手に弟子入り大作戦」です。

どうしても弟子入りしたい人がいる。

しかしツテも何もない。

そこで、どうしたか…

答えは“電話”です。

私が高校時代からファンだったテレビ神奈川(tvk)の男性アナウンサー(当時)に電話し弟子入りです。

会社に電話をし、理由を話すと、快く受け入れて下さいました。

青森から東京に帰省する際には、

一緒に横浜スタジアムに行って大学野球などを題材に、

自分の実況をその場で見て聞いてもらっていました。

終わると“師匠”が横浜中華街で名物の“揚げ焼きそば”をごちそうしてくれます。

表面がカリカリの麺。

中は野菜やひき肉にモチモチの麺。

熱々のあんかけが食欲をそそります。

たらふく食べて、自分の夢を語り気勢を上げていました。

帰省の度4年間位お世話になっていたと思います。

サンテレビの採用試験に合格し、

青森テレビから移籍して夢のプロ野球実況ができたのも、

この先輩との2人3脚の日々のおかげです。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
未来予想図を書いた24歳位の頃

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こはまの履歴書10.勝手に弟子入り大作戦

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

その勉強会ではOB・OG名簿をくれます。
その名簿を見て、(とても緊張しますが)会社に電話をしアポをとり、話を聞きたい人にどんどん会いに行きました。
名付けて「勝手に弟子入り大作戦」
とにかく、弟子入りして、いろいろ教えてもらって、刺激を受けるのです。
すると自分の意識も行動も変わってきます。
OB・OGたちは皆、ウエルカム。
自分たちも通って来た道だと、快く何でも教えてくれます。

フジテレビに行った時には、緊張のあまり、出されたお茶をこぼしてしまいました。
学生の私に対し机を拭いてくれたのは、有名な女性アナウンサー。
とても感激しました。
就職活動では、アナウンサーを目指して北は北海道から南は九州までテレビ局行脚。
不合格になるとその場で荷物をまとめ、次のテレビ局に向かう、という「アメリカ縦断ウルトラクイズ」のような生活でした。
苦労した経験から、現在、大学などで就職活動のノウハウを伝える講演も行っています。
当時の先輩たちへの恩返しの気持ちで取り組んでいます。

「こはまの履歴書2」で話した“ある作戦”というのがこの作戦、「勝手に弟子入り大作戦」です。

アナウンサーを20年やってこれたのも、この作戦のおかげだと思います。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
マスコミには程遠い大学時代でした

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こはまの履歴書9.マスコミ就職はイバラの道

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

就職活動の雑誌の最後のページに「マスコミ志望者の勉強会、生徒募集中」というお知らせが出ていました。
無料ということもあって、思い切って参加することにしました。
その勉強会は、週1回、その会を卒業したOB・OGたちが履歴書や作文を見てくれたり、休みの時期に合宿をしてくれたりするものでした。
OB・OGたちはマスコミの第一線で活躍している方がばかりで、親身になって指導してくれました。
この勉強会に参加していなければ、今の自分はありません。
しかし、会のメンバーは皆、高学歴で意識が高い大学生ばかり。
出席する度、劣等感にさいなまれ、行くのが正直イヤでした。
ある時、いつものように学生の一人が、完成した作文を発表していると、別の女子学生が泣き出してしまいました。
聞くと「こんなに上手い作文を書く人がいる。なのに、私は何てダメな作文しか書けないんだ」と泣いて悔しがっていたのです。
“ああ、劣等感を感じているのは自分だけじゃないんだなあ”と感じた出来事でした。
ライバルの存在や自分への悔しさが、就職活動の原動力にもなりました。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
自己PRネタはエアコン設置のアルバイトの話でした

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こはまの履歴書8.アナウンサーへのきっかけは1冊の雑誌から

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

高校時代は甲子園を目指し野球に打ち込んでいた私ですが、大学時代は特に打ち込むことがなく時間を持て余していました。
大学時代にやった事と言えは、恥ずかしがり屋の自分を変えるため学園祭のカラオケ大会に出た事パーマかけた事くらい。
地味な学生でした(笑)。
いざ就職を意識する学年になった頃、好きだった野球に関係する仕事が出来たらなあと漠然と考えていました。
それならスポーツ新聞の記者かテレビ局のアナウンサーかな、と…。
しかし、何の準備もしていませんでした。
他のアナウンサーのように専門学校に通っていたとか、アナウンス研究会で研鑽を積んだとか、何もありませんでした。
そんな時たまたま目にしたのが就職活動の雑誌
今から思えば、運命の出会いでした。

ここで初めてアナウンサー人生の扉をノックしたのです。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
高3最後の夏はハマスタでした

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こはまの履歴書7.実況練習に付き合ってくれた“名将”

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

ある時、初めて高校ラグビーの実況をする事になりました。
秋の本番に向けて、春の県大会で実況練習をしていると、解説役を買って出てくれた先生がいました。
その先生は県立青森北高校で、県勢初の全国ベスト8を成し遂げた山崎久造監督。
青森随一の名将が新人の練習に付き合って下さる。
あれは本当に嬉しかったです。
実況は解説がいないと成り立たないので、“本番さながら”に練習できました。
これまでサンテレビ時代も含めて、たくさんの高校スポーツを取材してきました。
ラグビー、野球、陸上、バスケ、サッカーなど…。
全国大会出るような監督は特に、勝負師としても、教育者としてもとても尊敬できる方が多いです。
皆さんマメで懐が深い…。
家族ぐるみでお付き合いさせて頂いている先生もいて、たくさんの出会いが財産になっています。
スポーツ実況では、競技の魅力はもちろん、監督や生徒が歩んで来た3年間を、言葉で紡ぐことができたらと思いマイクに向かっています。
8月の青森ねぶた祭りが終わった後の秋風の寂しさ。
ストーブをつけっぱなしにして寝る冬の厳しい寒さ。
八甲田山の雪解けが進む初夏の風の心地よさ…。
そして秋には海と山の恵み。
6年間過ごした日々が、今でも目に焼き付いています。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
青森時代は青春時代

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こはまの履歴書6、デビュー時に痛恨のミス!そして伝説が生まれた

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

天気予報の本番が始まりました。

本番中は無我夢中。

あっと言う間の3分間でした。

時間内にコメントが入らず、

「あすの降水確率は…」というコメントの所で、

ブチッとCMに入ってしまいました。

コメント切りというミスです。

終わった瞬間「あー、やってしまった」とショックと申し訳なさで思わず机に突っ伏してしまいました。

その姿を見たサポート役のB先輩が、

スタジオに入ってきました。

その瞬間、先輩に怒られる、

と思った私は思わず机の下に隠れました(笑)

「ああ、これでアナウンサー人生が終わってしまった」と、

当時はそれ位大ごとに考えていました。

落ち込む私を、

飲みに誘ってくれたのが、

給料泥棒と私に言ったA先輩でした。

厳しかった先輩がそんな時に限って優しい。

そのギャップに私は居酒屋で不覚にも涙を流してしまいました。

悔しさとふがいなさと…いろんな思いが交じっていたと思います。

その時、口にしたチューハイとビールのホロ苦さは20年たった今でも忘れられません。

それ以来、

青森テレビでは新人が何か失敗すると、

私の“初鳴きで初泣き伝説”の話を持ち出して励ましているそうです(笑)

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
青森のねぶた師の取材

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こはまの履歴書5、デビュー時に事件発生

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

アナウンサーがデビューする時を、「初鳴き」と言います。

人生で1度きりの記念すべき大事な日。

私は出来が悪かったので、初鳴きがだいぶ遅れました。

4月に入社したもののデビューは3か月後の7月。

デビューを夢見て、毎日、発声練習に明け暮れる日々。

口の悪いA先輩からは“出来が悪い給料泥棒”と怒られ、

いつになったらデビューできるのか、不安な日々が続きました。

そして迎えたデビュー当日、

3分間の天気予報を読むというものでした。

自分の声だけが番組に出るもので、

一番負担の少ない役割でした。

サポートについてくれた女性のB先輩からは励まされる所か、

「あなたが失敗すると、私が恥をかくんだから、しっかりやってよね」とプレッシャーをかけられていました。

昔の先輩アナウンサーはみんな厳しかったです。そして、ドキドキの本番!…果たして。(つづく)

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
泣き笑いの青森時代

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こはまの履歴書4、方言が分からず、怒られたと勘違い

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

青森時代、大変だったのが「早朝勤務」

朝の5時に出社します。

そのため冬は朝3時起床し準備します。

スーツに長靴という“雪国ファッション“で、

まずは家の前の雪かき。

一晩で積もった雪をスコップで片づけ、

カチンコチンの氷をガリガリ削り、車の通り道を確保。

これだけで腰が痛くなります。

そしてようやく車のエンジンをかける準備。

車体に1m以上積もった雪をブラシでどけエンジン始動。

フロントガラスとリアガラスにはお湯をかけ氷を解かす。

ここまでしてようやく出発です。

また、疲れて会社から帰ってくると、

再び次の日のために雪かき。

冬はとにかく雪かきに明け暮れます。

青森には7つの雪が降ると言われます。

粉雪、つぶ雪、綿雪、ざらめ雪、水雪、かた雪、氷雪…。

30万人以上の都市で青森市の降雪量は世界一。

まさに世界一の豪雪地帯です。

そして朝3時にちゃんと起きなければと思えば思うほど、

寝られないのです。

当時は、

遅刻して本番ニュースの時間に間に合わない、

…という夢をよく見ました。

走っても急いでも何しても間に合わない…まさに悪夢でした。

どうにかこうにか出勤すると、

6時からの天気予報、

7時の交通情報、

7時半のニュースとたくさんの本番が目まぐるしくやってきます。

その後は先輩1人1人の机を拭き、

お茶を入れます。

雑用も仕事のうちです。

新人の頃、あまりに準備の時間がなく困った私は、

どうしたか?

自主的に出社時間を早めることにしました。

朝2時起床。4時出社です。

あまりに早く会社に行くので、

会社の建物の鍵が開いていません。

守衛さんを起こして開けてもらわないといけません。

泊り勤務の守衛さんは、

いい迷惑だったと思います。

守衛さんがステテコ姿で出てきて「こんなに早ぐ来るの、おめぇだけだ!」と津軽弁で一言。

方言が分からず、

ウブだった私は、「おめえ」なんて、

なんて怖い事言うんだろうと落ち込んでいました。

でも津軽弁では、「おめえ」というのは普通の2人称。

決して「てめえ、おめえ」の意味じゃないんです。

たまにテレビなどで津軽弁を耳にすると、

今でも、守衛さんのステテコ姿を思い出します。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
早朝勤務の頃

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こはまの履歴書3、青森は2度泣く土地

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

神奈川県出身の私は、

大学までは実家から学校に通っていました。

卒業後は青森テレビという地方局に就職。

初めての一人暮らし、

社会人生活を青森県でスタートさせました。

最初の頃は、放送での緊張やホームシックで、

体によくじんましんが出来ました。

その都度、病院で点滴をしてもらう、という生活でした。

転勤族のサラリーマンが青森県に転勤が決まると、

「あんな雪の多い田舎に行きたくない」と泣くと言います。

ところが実際に赴任して時を過ごし、

次の土地に転勤が決まると

「こんなに人情に厚く、食べ物もおいしい土地から離れたくない」と再び涙する…。

青森県はそんな土地だと言われていますが、

まさにそう。

青森県は、第二の故郷。

泣いたり笑ったり、青春そのものでした。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
アナウンサーになりたての頃

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こはまの履歴書2、”ある作戦”を続けて20年

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

今年アナウンサー20周年を迎えました。

青森テレビで6年。

サンテレビで14年。

報道やスポーツ実況、様々な番組の司会など…。

おかげ様で、地方局のアナウンサーとして経験できることは、

ほとんど全て経験させてもらいました。

2018年4月からはサンテレビの報道情報番組「4時!キャッチ」(月~金曜、16時~生放送)の月、水曜日を担当しています。
(2018年6月現在)

これまで局アナとして何とか生き残ってこられたのは、

たくさんの出会いに恵まれたのと、

ある“作戦”のおかげだと思っています。

その作戦とは…。

後ほど触れたいと思います。


現在出演中の「4時!キャッチ

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