こはまの履歴書19、四十の手習い、新たな挑戦

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

現在は4時!キャッチ」(月~金:16時)の(月)(水)に出演しながら、

ディレクター(社会情報部)も兼務しています。

ロケに行ったり、台本を書いたり、番組ゲストの駐車場の手配など、

裏方の仕事が結構あって、“四十の手習い中”、新たな挑戦です。

どこにロケに行こうか、スタジオはどう展開しようか、そんなことばかり考えています。

結構、アイデア勝負です。

先輩の谷口アナウンサーが「40代は充実してとても楽しかった」と以前話していました。

出演者+作り手=二刀流。

二刀流の40代にどんな未来が待っているのでしょうか?

40代に入り、最近は年齢を感じることも多くなってきましたが、

これまでの経験を元に、新しい自分を追加していきたいと思っています。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
4時キャッチでは二刀流

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書19、四十の手習い、新たな挑戦 はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書18、両親の前でヒーローインタビュー

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

もう1つヒーローインタビューで忘れられないのは、

横浜スタジアムでの出来事。

両親が見に来てくれた時に、

ヒーローインタビューを担当しました。

両親は神奈川に住んでいるので、

なかなか仕事の様子を見せることができません。

緊張しながらマイクを握る姿を両親に見てもらって、

少しは親子孝行ができたかもしれません。

地方局のアナウンサーが、

その局の地元以外で、

自分の姿を見てもらおうと思ったら

“全国放送”しかありません。

全国放送、つまり東京のキー局に送るニュースは“のぼり”といって、

地方局では、思わず力が入ります。

青森時代、

当時は“全国女子アナNG大賞”みたいな番組が結構ありました。

出られるのは当然女性アナのみ。

全国放送の貴重な機会です。

ある時、NG大賞みたいな番組に出演する予定の後輩アナが、事前アンケートで、

「番組盛り上げますんで、真ん中(センター)にして下さい」と書いてFAXしていました。

全国放送で、しかも系列局のアナウンサーが集う番組で“センター直訴”なんて!

なんてメンタルが強いんだ、と驚いたことを覚えています。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
青森時代の温泉リポート。バックは雪景色

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書18、両親の前でヒーローインタビュー はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書17、忘れられないヒーローインタビュー

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

プロ野球担当のアナウンサーの重要な仕事に、

ヒーローインタビューがあります。

インタビューで、

その日の“主役”である選手の喜びの表情やコメントをいかにして引き出すか、

いや、アシストするか…。

(甲子園など大観衆の前でのインタビューは足が震えるほど緊張するものです)

アナウンサーは“話す”“伝える”という、

いわゆる前に出る仕事というイメージが強いかもしれませんが、

実は、インタビューでも取材でも、

相手の話をしっかり聞き、

相手をたてるというのがとても大切な仕事です。

忘れられないヒーローインタビューがあります。

2006年5月27日。

当時オリックスの清原和博選手。

実はヒーローインタビュー担当の数日前に、

たまたま清原選手のヒーローインタビューをテレビで見ていて、

自分が担当する時にはどうするか、とイメージを膨らませていました。

いざ、試合の日。

交流戦で横浜(当時)が終盤までリードしていて、

ヒーローインタビューの選手も横浜の選手に決まっていました。

しかし、オリックスがチャンスを作り、

清原選手、登場!

なんとクルーン投手から、

逆転サヨナラ満塁ホームラン!!

ライトへの清原選手らしい美しい放物線でした。

私は急いで横浜ベンチからオリックスベンチに走り、

質問内容を何も用意できないまま、肩で息をしながら、

ドキドキのヒーローインタビュー。

我々の世代にとっては、

清原選手は憧れの“特別な存在”

コメントも、笑いを取りつつ、さすがの千両役者でした。

選手の喜びの瞬間に立ち会い、

皆さんと共有できる、

アナウンサーの醍醐味です。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
阪神タイガースの優勝旅行のハワイ取材。貴重な経験を積んだスポーツアナ時代

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書17、忘れられないヒーローインタビュー はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書16、ニュースポートを6年担当して感じたこと

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

ニュースを読む時、

アナウンス技術的には音の高低、強弱、長短、間などを使い分けますが、

最終的にはやはり“気持ち”です。

報道番組「ニュースポート」を担当して実感しています。

喜怒哀楽、様々なニュースを原稿の意味をしっかりと読み取り、

“これはこんなニュースなんですよ”と視聴者に声でかみ砕いて“伝える”。

読むんじゃなくて伝える、です。

一文一文、意図を持って伝えるが大事だと思っています。

ニュースを担当する際“1本1本挑戦できているか?”自分に問いかけるようにしています。

また自分でも、企画を立て、取材し編集をするという記者の仕事も担当することで、

記者やカメラマン、編集マンなどの気持ちも分かるようになりました。

スタジオでニュースを伝えるだけでなく、取材し現場で多くの事を学び、視野が広がったと思います。

報道番組は原稿と映像とナレーション、そしてスタジオワーク、スタッフ全員の“総合芸術”だと思います。

「ニュースポート」は終了してしまいましたが、報道部はニュースを伝え続いています。

またいつか、報道番組も挑戦したいです。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
取材中の私

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書16、ニュースポートを6年担当して感じたこと はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書15、ライバルから学んだこと

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

ライバル局のアナウンサーでも、こちらが真剣であれば、しっかりと教えてくれるものです。

ランチをしながらアドバイスをもらったり、

放送のDVDを見てもらったりもしました。

ここで2人の師匠に学んだのは、

たとえ1分のニュース原稿でも、

どうやったら分かりやすく伝わるのか、言葉と格闘する、

“挑戦する”ということです。

師匠は意識が本当に高い。

原稿への向き合い方、こだわり方がすごい。

アクセントやイントネーションはもちろん、

原稿が分かりづらかったら、記者と話をして表現を変えたり、語順を入れ換えたりします。

取材してきた記者や司令塔でもある報道デスクに、

原稿の直しを提案するのは、一筋縄ではいきません。

しかし、アナウンサーは記者と視聴者をつなぐ架け橋

記者の思いを“翻訳”し視聴者に届けるのも仕事。

自分は30分のニュース番組を仕切る“料理長”なんだという気概を持ってお伝えしてきました。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
料理長の気持ちで

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書15、ライバルから学んだこと はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書14、時にはライバルにも弟子入り

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

サンテレビで2012年~18年3月まで、「ニュースポート」という報道番組を担当しました。

月~金曜日まで。ここでニュースの世界にどっぷりと浸かりました。

ライバル局のニュースを自分なりに研究し、

ナレーションがずば抜けて上手な2人のアナウンサーを見つけました。

どうやったら、あんな風に表現できるのか?

本番前にどんな準備をしているのか?

聞きたい事が山ほどあります。

ここでも得意の「勝手に弟子入り作戦」です

ツテを頼って、

他局の2人のアナウンサーに会いに行くことになりました。

(つづく)

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
弟子入りの結果は…

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書14、時にはライバルにも弟子入り はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書13、大師匠、世界の盗塁王・福本豊さん

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

プロ野球実況を担当していた頃、福本豊さんには本当にお世話になりました。

ある日、球場で取材中、

福本さんから「間もなく着くから、球場の入り口で待っておけ」と電話がありました。

待っていると、ある物が入った箱を渡され「ついて来い」と。

向かった先は監督室

我々報道陣でも立ち入り禁止の場所です。

当時、楽天の監督は野村克也さんでした。

福本さんと野村監督は旧知の中。

部屋には監督付きの球団広報が目を光らせていましたが、

私も“鞄持ち”という立場で入れてもらえました。

箱の中身は野村監督の大好物のお店のあんぱんでした。

「こんな物よこして、俺を早死にさせる気か」と、

そこでも得意のボヤき節でしたが、野村監督は上機嫌。

お二人の会話を真近で聞かせてもらい、

実況で使えるようなたくさんのネタやヒントを頂きました。

おそらく福本さんは、

駆け出しで取材ネタを集めるのに苦労する私を見て、

鞄持ちをさせてくれたのだと思います。

何も言わず、サラリと監督室に連れて行ってくれた福本さん。

涙が出る程うれしかったです。

スポーツアナウンサーとして未熟な私は、

しょーもない事を言っては、

福本さんによく叱られました。

でもそこには愛があります。

本当に優しく、周りに気配りをし、周囲をよく見ている方です。

そして福本さんはエラい人にも私のような者にも、

誰に対しても態度を変えません。

それと、一流の方、皆さんに共通している点ですが、

記憶力が抜群です。

解説時、たいていの解説者は、スコアブックをつけていますが、

福本さんはつけません。

つけなくても、全部のプレーが頭に入っているのです。

さっきこの打者にはどんなボールから入り(初球)、

どんな球でどんな結果になったのか(結果球)も全部です。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
スポーツアナウンサー駆け出しの頃

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書13、大師匠、世界の盗塁王・福本豊さん はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書12、野球実況とは…1枚のスタメン表

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

プロ野球実況を初めて担当したのは、

忘れもしない2006年9月19日甲子園での阪神対ヤクルト戦

高校時代には立てなかった甲子園で、

放送席から実況できる。

大感激でした。

“30歳までにプロ野球の実況をする”という目標を少し過ぎた、

31歳の時でしたが本当に嬉しかったです。

‘06年から’11年まで担当したプロ野球実況では、

サンテレビの先輩アナウンサーなどがいろいろ教えてくれました。

本番までの準備の仕方、

毎日の資料のつけ方など。

さすがは“野球中継のサンテレビ”目からウロコでした。

ある時、先輩が1枚のスタメン表を指さし、「これ読んでみて」と言いました。

今で言うと、1番センター高山、2番ショート鳥谷、3番ライト糸井…みたいな感じでしょうか。

まず、これをかまずに9番までリズムよく読むのは結構難しいです。

息継ぎの仕方や声の出し方などちょっとしたコツがいります。

さらにスッと言葉が出てくるようにするには、練習も必要です。

また、1番から9番まで全部読むと時間がかかります。

そんな時はどうするか?

例えば昨日とオーダーが違う所だけ読む。

1、2番と中軸、バッテリーなど主要な所だけ読むなど、

スタメン紹介1つとっても色々な切り口があるのです。

ビジネスの世界ではよく“選択と集中”と言われますが、

テレビ局の場合は“強調と省略”がとても大事だと思います。

情報を整理し取捨選択して、視聴者にポイントを絞ってお伝えする。

情報を思い切って削って、

その分、強調する所は厚めに伝えるなど工夫します。

「言葉を削って、表現を磨いて、視聴者に届ける」という手法は、

実況でも報道でも、いつも大切にしています。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
初実況時の解説は小山正明さんと福本豊さん

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書12、野球実況とは…1枚のスタメン表 はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書11、道を拓いてくれた憧れのアナウンサー

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

売れているタレントさんが、

何歳でどんな番組を担当したいか、

どんなポジションでいたいか、

そこから逆算して、これから何をして行くか、という“夢の未来予想図”を書いているというのをある本で知り、24歳の頃、自分でも書いてみることにしました。

そこで30歳までに野球実況をするという目標を立てました。

青森テレビは大好きな職場でしたが、残念ながら野球実況の機会はありません。

いつか野球実況ができるテレビ局に移籍したいと考え、

実況練習と他社の入社試験対策を始めました。

ここでも役立ったのが「勝手に弟子入り大作戦」です。

どうしても弟子入りしたい人がいる。

しかしツテも何もない。

そこで、どうしたか…

答えは“電話”です。

私が高校時代からファンだったテレビ神奈川(tvk)の男性アナウンサー(当時)に電話し弟子入りです。

会社に電話をし、理由を話すと、快く受け入れて下さいました。

青森から東京に帰省する際には、

一緒に横浜スタジアムに行って大学野球などを題材に、

自分の実況をその場で見て聞いてもらっていました。

終わると“師匠”が横浜中華街で名物の“揚げ焼きそば”をごちそうしてくれます。

表面がカリカリの麺。

中は野菜やひき肉にモチモチの麺。

熱々のあんかけが食欲をそそります。

たらふく食べて、自分の夢を語り気勢を上げていました。

帰省の度4年間位お世話になっていたと思います。

サンテレビの採用試験に合格し、

青森テレビから移籍して夢のプロ野球実況ができたのも、

この先輩との2人3脚の日々のおかげです。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
未来予想図を書いた24歳位の頃

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書11、道を拓いてくれた憧れのアナウンサー はコメントを受け付けていません。

こはまの履歴書10.勝手に弟子入り大作戦

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」

その勉強会ではOB・OG名簿をくれます。
その名簿を見て、(とても緊張しますが)会社に電話をしアポをとり、話を聞きたい人にどんどん会いに行きました。
名付けて「勝手に弟子入り大作戦」
とにかく、弟子入りして、いろいろ教えてもらって、刺激を受けるのです。
すると自分の意識も行動も変わってきます。
OB・OGたちは皆、ウエルカム。
自分たちも通って来た道だと、快く何でも教えてくれます。

フジテレビに行った時には、緊張のあまり、出されたお茶をこぼしてしまいました。
学生の私に対し机を拭いてくれたのは、有名な女性アナウンサー。
とても感激しました。
就職活動では、アナウンサーを目指して北は北海道から南は九州までテレビ局行脚。
不合格になるとその場で荷物をまとめ、次のテレビ局に向かう、という「アメリカ縦断ウルトラクイズ」のような生活でした。
苦労した経験から、現在、大学などで就職活動のノウハウを伝える講演も行っています。
当時の先輩たちへの恩返しの気持ちで取り組んでいます。

「こはまの履歴書2」で話した“ある作戦”というのがこの作戦、「勝手に弟子入り大作戦」です。

アナウンサーを20年やってこれたのも、この作戦のおかげだと思います。

アナウンサー生活20周年を20個位のコラムで振り返る「こはまの履歴書」
マスコミには程遠い大学時代でした

Posted in 20周年企画「こはまの履歴書」, 日記 | こはまの履歴書10.勝手に弟子入り大作戦 はコメントを受け付けていません。